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2006年12月17日

●愛する、ということ。

■考えごとをしていたら眠れず、たまらなくなって911を走らせた。夜中の3時過ぎに家を出て、あてもなく911を走らせた。もちろん何かが変わるのではないか? という淡い期待を込めて。

■しかし結果としては何も変わらないどころか、考えが巡り巡って、愛する、ということは一体何なのか? という深みにはまった。走らせる911の感触が優れたものとして伝わるほどに、僕は永遠に答えのでない深みにはまっていったように思えた。

■911を走らせながら考えていたのは、スポーツカーのことだ。スポーツカーとは一体何なのか? そう思いながらスロットルを踏み込んでいた。スポーツカーという存在は、僕に何をもたらしているのだろう、と。

■そうして思い巡らせても結局は答えがでず、僕の想いは、スポーツカーが大好きで、たまらなく好きで、愛している、ということに行き当たってしまった。特にここ最近は、本当に心の底からそう思えていた。それは先にこのブログでも物議を醸した、ミニバンの話という違った形にもありありとあらわれていた。そして僕は今日、911を走らせて、改めて心の底からスポーツカーを愛しているのだ、と思った。

■しかし、ふと気が付くと、そうした僕のスポーツカーへの深い愛情が増せば増すほど、何かが犠牲になっているように思えてしまう。自分の好きなように振る舞えば振る舞うほどに、確実に何か犠牲が生まれているように思えてならない。

■例えば顕著なのが家庭。妻は僕がスポーツカーを愛することを全面的に了承してくれているが、一方で口にはしないが我慢をしているように思う。事実、最近ウチの911はほとんど動いていなかった。さらにつまらないことだが、家計を圧迫しているのも事実である。3台ものスポーツカーを維持していくのは、正直経済的に苦しい部分が多い。ローン、保険、ガソリン代…僕は意識していないが、もしかしたら妻はハラハラする部分があるのではないか?

■ただ経済的なことは解決が図りやすい。3台を維持するならば、それだけ仕事を頑張ればいいだけの話だし、リアルに家計がひっ迫しているなら、3台を手放せばいいだけの話である。そこからすれば、家庭の犠牲も簡単に解決できる。何かを手放し、皆で乗れるクルマを用意すればいいだけの話なのだから。

■だがやっかいなのは、分かっていても踏ん切りがつかないこと。自身のわがままによって様々な物事を犠牲にしていることは知っている。でも、知っているからこそ、ますますスポーツカーへの愛情が増すのも事実。何かを犠牲してしまえるほど愛することができるから、スポーツカーに心奪われるのである。

■実は自分でも、これはいくら何でもやりすぎだ、と思っている。スポーツカーが心底好きだからとはいえ、3台も必要ないことは重々承知だ。でも、僕にはそうすることしかできなかった。自分の思いのままに振る舞ってみなければ、絶対に分からない。そう、思えてしまったのだ。それが非常に傲慢なことと分かっていても、そうせずにはいられなかった。

■だからこそ、悩ましい。今だから言えるが、僕はこれまで自己所有車に、それほど強い感情は抱かなかった。事実、いろんなクルマを短い期間で何台も乗り継いできた。もちろん気に入ったクルマを…という大前提があり、その中にもスポーツカーは含まれていた。ただ、それでも深く感情を込めるということはしなかった。なぜならクルマはあくまで機械であり、何か大切なものをかけてまで所有する理由はないと思えたからだ。もちろんこの仕事をしているから、できる限り様々なクルマを所有して体験とする…という想いもあったわけだが。

■しかしいつしか、僕の心はスポーツカーに向き、それに感情を込めるようになった。走らせた瞬間の、他では絶対に味わえぬ感触の虜となり、それを常に手元に置き、愛でていたいと思うようになった。そして今に至り、僕は何か大切なものをかけてまでスポーツカーを愛している。

■だが、僕のスポーツカーに対する愛情が深まるほどに、僕を取り巻く環境のバランスが悪くなるのも事実。僕が1人で生きているならば一向にかまわないことが、残念ながらそうはならないのが現実だ。それももちろん分かっているのだが、一方で何かを愛する、ということは、たとえそれでも貫き通すものなのだろうとも思う。

■自分の思うがままを貫き通すためには、絞り出すような深い愛情が必須だ。しかし、自分の思うがままを貫き「通さない」ことで、自分と、自分を取り巻く環境とのバランスは良い方向を向く。しかも、そうした行為は、別の次元での愛情を生み出すものだとも思える。

■人とクルマを比べるわけではないのだが、特に家庭があると、スポーツカーを愛するというのは難しい。しかも僕の場合、それが3台もあるのだから、明らかに何か破綻をきたしていると思う。

■家のクルマが全てスポーツカーになって、1年が経った。たった1年ではあるが、不思議と長い1年にも思えたのは、それがスポーツカーだからだろう。この1年というのは、ちょうどさっき走らせた911と過ごした時間でもあるわけだが、911と過ごした時間は実際には極めて短いのに、不思議と長く感じるのだ。おそらくそれは911があまりに濃密な中身を持った存在だからだろうと思う。単に刺激的で刹那的であれば、おそらくこの1年は短く思えたはず。そして短い1年だったとしたら、もう飽きが来ているに違いない。

■しかし、この1年は長く感じた。特に911を走らせた記憶を辿ると、実に様々な感触が蘇ってきて、あまりにも多くの印象がありすぎるのだ。僕は現在自己所有する911の走りをして、「5分乗れば永遠の記憶に残る」と記したことがある。その時は分からなかったが、自己所有すると永遠の記憶に残る走りと日常的に向かい合うことになり、それゆえに実際には短い時間が長く感じられることを知った。

■それは僕にとって、とても素晴らしいこと。いやこれこそがスポーツカーを愛することの素晴らしさではないかと思える。しかし、ふと我に返ると、その一方でいろいろな意味で苦労が生まれているのも事実なのだ。

■そう考えると、とてもツラい。上手く言えないが、何か愛する、ということは、他の対象への愛をも気付かせてしまうものでもある。全く比べようのない別の物事を愛することの大切さを、改めて教えてくれているように思えてならない。ただ、そう考えると再び想いは巡り、スポーツカーが余計に、美しくも儚いものに思えてしまう。だからこそ、愛することをやめられないでいる。

■もちろんこれはあくまで、僕の極めて個人的な、ある意味間違った問題を前提にした話でもある。そう思うと僕にとって、愛する、ということは、永遠に終わりなき想い。

■時に歓び、時に苦しみ、そして長いスパンで見ればそのほとんどが悩ましい、そんな想いのように思える。

■ただそれでも僕は未だ、スポーツカーを愛する、ということをやめられずにいる。そしてまた途方に暮れつつも、僕はまたスポーツカーを走らせる。

■そして想う、僕はスポーツカーを愛し続けたい、と。

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コメント

確かにNSXと911とロードスターでは家族の皆さんはしんどいかも・・・
奥様に感謝、感謝、感謝ですね。

非常にお気持ち解ります。
そう感じているだけで、ガクさんとのレベルが違うのであれば、誤りますが。。。
自分の場合は、「モノをデザインする」「モノを生み続ける」という行為が、ガクさんにとっての「スポーツカーを愛する」行為と似ているので。
勿論、その為に家族(やっぱり子供2人いますが)に負担がかかる部分があります。
表現し続ける職業を選んだ以上、同業者の世界で、自分の立ち位置を築くこと、自分のキャラクターを発信することは重要ですし、人と同じ事をしていると埋没してしまいそうな強迫観念に近い思いも湧いてきます。
ただ、自分もいろいろ悩んだ時期もありますが(勿論いつでも)自分の好きなこと、自分の表現している事を愛せる事が、何よりも自分のモチベーションにつながるのも事実です。

やはり、家族、特に奥様には感謝ですね。
自分もそのところが、上手く表現できずに衝突を繰り返してしまいます。
こちらの日記もたまには覗いてくださいね。

オートサロンの会場とかで、お会いできるのを楽しみにしています。

いつも、拝見させていただくだけでしたが、愛ときいて思わず、書き込みさせていただいちゃいます。

女性の立場からコメントさせていただくと、男性が何かに打ち込んでいる姿は美しく、応援してあげたくなるものです。

奥様もきっとそんな河口さんだから、許しているのではないでしょうか。きっとそれで幸せなんじゃないでしょうか。自分を責めることはないとおもいますよ。

ただし、河口さんのスポーツカーへの愛情はよく理解出来ましたが、スポーツカーを大事にするよりも、少しでも家族を大事に思ってもらいたいなwと私は思っちゃいました。

あ、そんなこと言われなくてもしてますよね。失礼いたしましたw

応援しておりますので、今後もがんばってください!

その気持ち凄くわかります。
ぼくの場合は家族の問題よりも自分自身への問題です。最近シトロエン2CVに乗って深く考えさせられました。比較的速いペースで走れる車ばかり乗っていると季節の変わり目や新型車種のディテールに気が付かなかったことです。緊張感のある車ほど時間が過ぎるのも早いし、大切な運転の時間すら早くなってしまった気がしてなりません。
最近、その辺を深く反省しつつ次の車選びを始めました。

もしかすると巡り巡って達観の域に行ってしまったのかもしれませんね。
私の場合、もともと車は好きでしたが他にもいろいろやってみようと思い、かじったりはしたのですがどれも余りのめり込むことなく、今となっては無駄な遠回りは止めて車趣味のみになっています。
そして車を好きになればなるほど原点に帰っていく気がします。この場合の原点とは運転をただの移動ではなく、運転という行為そのものに対して気持ちの良い車を求めていく、と言うことになるでしょうか?
きっと河口さんの場合はそこにスポーツカーがあるのかな?と。
勝手な想像で恐縮です。
私自身妻子持ちでなかなか折り合いをつけるのが難しいですが、そんな中で可能性を考えるのも楽しいので、それはそれで幸せなのでしょうね。
河口さんに負けないよう、良いクルマに出会いたいですね!

スポーツカーを愛する物としても関心有る事です。僕も三台スポーツカー所有していますがそれも三台とも2シーターですからね。
でも家族で乗れる車もありますからね。
バランスが大切では?
台数と言うより家族で乗れる物が無いとダメに成ると思いますよ。思いだけでは行けない事も有るかと思います。

暫く見てませんでしたが、やはりスポーツカーの話だと皆さんも盛り上がる様ですねw。

何時もながら、河口さんのスポーツカーへの愛を実感致しますと共に、私も皆さんと言いたい事の多くは共通してますゆえに、仮に自分が車への興味を失う様な事態になれば、それは人生の半分以上を損している事だと考えています。

私自身も今後もスポーツカーへ拘り続けたい故に、たまにスポーツカーを貶されたり車趣味を否定されると、ついつい熱くなる事もしばしばですが、此方へ来ると共感出来る方々がいらっしゃるので安心します。

あとSW20乗りの私としては、先ごろ生産中止が決まった「MR-S」も話題に上ると良いのですが・・・。

愛する事 恋する事は盲目になる事
きっかけはいろいろありますが
愛する事 恋する事は 理由はないのでは?
あとで自分や周りを説得する・納得させる為のこじつけに過ぎないのではないかとも思います
良いんです 好きなんだから何と言われようと
全ては自己満足なのですからなんて思います
生意気な意見ですいません

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