●運命の瞬間
■おおげさなタイトルを付けたのは、日常の些細な瞬間が実に色んな意味でターニング・ポイントになっている…そう思えたからだ。
■先日の「もの想い」というエントリーはまさにそれで、僕はこの時の前後で様々なものごとを想い、様々に選択を行った。そしてその結果(となる今)が僕の運命を変えたに違いない。そう、思えたのだ。
■この時想った様々なものごとは、実にくだらないことから崇高なものまで文字通り様々で、あえて詳細は記さないけれど、そうした様々なものごとを想い悩み選んだ結果、今の僕がここにある。
■もちろん、結果もまた様々で、即座に正しいと思えることや間違いと思えることもあれば、未だ正否の判断がつかないこともある。
■ただ、どのものごとに関してもそれは、運命を決めたのだろうと思う。その瞬間の判断が、確実に今の僕を作り上げているに違いない。そう、想うのだ。
■例えば、本当にくだらない例えばの話。僕が昨日出かける時にどのクルマに乗っていこうかと迷って、結果1台を選んだ瞬間、それとは逆の1台を選択した時とは、異なる運命になっているように思えるのである。本当にくだらない話だけれど。
■あえて少しだけ記すならば一昨日、そうした瞬間にまさに立ち会った。これは大げさに言えば、ボクの仕事人生を左右するできごとだった(本当かな?)のだが、電話口でボクは「うーん、やめます」と答えた。約10分の間にイエスかノーかの選択を迫られ、ボクはノーを選んだわけだ。ボクが選んだノーは、今後のボクにとってプラスになるだろうと瞬間的に判断して下したノーだった。もちろんその結果というのはスグに分かるものではなく、いやむしろ今後も本当に長い時間が経たなければ分からないことではある。
■でも、ボクはこの時、ノーと言う答えが正しいと思い選択したわけで、その瞬間から以降のボクの運命を左右した選択となっているはずである。
■その後も次から次にそうした瞬間は訪れている。そして瞬間的に判断を下している。そうした物事が幾重にも重なって、時間は流れている。もちろんそこには、価値もヒエラルキーもあって、それもまた幾重にも重なっている。
■ま、こんなことをかくほど大げさなことではなく、それは誰にでもある瞬間なのだけど、なぜかふと、そうしたことを書き留めておかなければならないと想った。
■これは人に対しても全く同じで、相手に発した何気ないひと言が、自分と相手との運命をも決めているように想える。
■書けば書くほど大げさになって、「あいつ大丈夫か?」と思われてしまうそう。
■でも、そんな風に思われてもなお書いておきたいと思ったのは、ボクはここ数日ボクの中でいくつかの大切(だと自分では思う)な判断をした、ということである。そして未だ判断がつかないこともある。
■これを読んだ皆さんは何を想うだろう? でも、これを読んで何かを想った瞬間がもしかすると、あなたの運命の瞬間かもしれないのだ。

河口まなぶ

コメント
人て何時も大小のターニングポイントて有ると思います。本人がどうあれ選ばなければ成らない事は多いと思います。
それにより変わる事は当然でしょうね。
僕も今日はどの車で行くかなども有るし
服装もそうでは無いでしょうか?
何時もターニングポイント有るしそれによりその後が変わると言うのは人生では無いですかね。
Posted by: TAKA | 2006年08月13日 08:03
僕なりに思ったことです まあ いつも適当に過ごしているのあてになりませんがその様な人もいるんだレベルで聞いてください
率直に思ったことを言うと 自分の目標が少しボケてきたのではないかと思いました 人生などという大げさなものは僕は良く分かりませんが
例えば 北方にある目標地点があり そこに向かって何日かかけて歩いて行く 手にする物はコンパスだけ 知らない地でありコンパスもまともに使った事がなく 行く手は山あり谷ありで最初は西へ行ったり東へ行ったり南に戻ったり悩みながらイライラしながらクネクネと蛇のように北上して行くが コンパスの使い方に慣れ 周りの人の話を聞いたり 行く途中の遠くの目標物を教えてもらったりして そのクネクネ度合いが減り だんだんまっすぐ目標へ進んでいけるように
サーキットなどで車を走らせる場合 最初はハンドルの切り方から始まり車になれコースを覚えクリッピングポイントを教えてもらう 最初は多角形コーナーリングでぎこちない走行になるが 目線はいつもより一つ先を見るようにし いつまでもクリッピングポイントを見るのではなく、見切りをたて次に行きたいと頃を見る それがだんだん自然に一筆書きの綺麗なトレースラインを描けるように 鉛筆も字を書くのも同じで最初は握り方から どこの指にどう力を入れてとか 今はペン先にしか意識がなくなる 車だとタイヤへの意識 (いい道具はその先端に意識がクリアで近くに感じるそうです)それを出来るようになると意識は字が線からはみ出ないようになり苦もなく綺麗に書ける 車の運転もクリッピングポイントへの姿勢に意識 タイヤへの意識はもう当たり前に出来るのでいかに早く効率よく(速く)付いて立ち上がっていくか そのクリッピングポイントも最初は誰かに教えてもらうが 車の特性や立ち上がりラインの余裕度から自分で見つけられるように 出口からラインや走り方の組み立てが出来るようになる
丁寧な操作はスムーズな運転をする為にそうするしかない 丁寧な操作は目的ではなく効率よく安定して走る為の手段の一つ 後は体のセンサー感度UPとフィードバックのサイクルタイム短縮とフィードフォワードのタイミングと量を的確に
前置きが長かったですが 先ず目標がボケるとどこに行ってよいか分からなくなり不安になるのではと思いました
河口さんの場合 もうある程度の失敗はしていて その経験が肥やしになり 少し考えて次のアクションを起こし 又その反応をフィードバック その結果を元に考えまたフィードフォワード的アクション その繰り返しを何度もしてきて自分の事務所を作られたりいろいろ苦労されたと思います
ただ 業界的しがらみみたいなものが僕には良く分かりませんが、その辺が原因で目標が霞んでしまったのかんなあ~と勝手に想像してしまいました
又長くなってしまいました。すいません
Posted by: ももんがあ | 2006年08月13日 15:39
結婚とか就職とかも、運命の瞬間だったのではないかと私は思います。私自身今の仕事をしていなければ、今の妻に出会っていません。就職活動中にいくつかの会社を蹴って、蹴られてして、今の仕事に落ち着いていますが(転職経験は無し)、
どんな仕事を選んだとしても時々愚痴でもこぼしながら私なりに一生懸命やっているのだろうし、今とは違う妻を娶っていたとしても、それなりにやっているのだろうと思います。
私は2女児の父ですが、2女児が別の形だったら、別の人生だったと思います。
今のところ、今の仕事じゃない仕事にしておけば良かった、とか、別の人と結婚すれば良かったなどと言った感情は幸いなことに持っていません。
まなぶさんも、(私の尺度では)直感で(まなぶさんは熟慮をしたのかもしれませんが)判断をされたのですから、それで良いのだと思います。もしまなぶさんが後悔すると言うことを前提として話をさせていただくと、断ってしまった後で起こる後悔と、断らなかったことによる後悔では後者の方が圧倒的に大きいと思うのです。
だからまなぶさんの判断で良いと思うのですが・・・
Posted by: TT | 2006年08月18日 02:08